昨日の続きです。
長老となったチニタと、9歳のJUN、そして4歳になった卯月との暮らしは静かになっていた。
そんな年の夏、あるご家庭から事情があってラブラドールを飼えなくなったので、貰ってもらえないだろうか?と打診があった。何とか手放されないように何度も説得したが、どうにもならず仕方なく引き受けることになった。
迷ったが、どうしても奈々については経緯を書かねばならないだろう。
我が家にやってきた奈々(当時は別名)は、置いていかれるとは夢にも思わず、庭でJUNと喜んで遊んでいた。
翌朝、去って行くステーションワゴンを見つめる奈々の姿を今でも忘ることができない。
その後何日も経って、私が出かける姿を見てパニックとなり、網戸を突き破り、ドアを引っかき後を追おうとしたそうである。その車はステーションワゴンだった。
その後もステーションワゴンを見るたびに駆け寄る奈々だった。
まだ我が家に馴染まなかったころの奈々は、ドアーを開けて呼んでも怖くてお客様の前に出ることを嫌がった。
お客様のR・Dさん撮影
その頃の奈々を知っているお客様は、これってラブラドールの顔?怖いようだったと後になって言われた。確かに目が引きつって、表情がなく能面のような顔だった。
前の年の奈々はそうでなかったから、余程のストレスだったに違いない。
こんなこともあった。人に脅えるようなそんな奈々が、ある日開いていたドアーの向こうのダイニングホールで後ろを向いて立っていたお客様に、走って行って飛びついたのである。
びっくりしたそのお客様の顔を見た奈々は、首をうなだれてすごすごと帰って来た。
そのお客様は、後姿が以前の飼い主の方によく似ていたのである。
トイレも滅茶苦茶だった。部屋の中でどこでもしてしまうのは、自分の居場所が定まらなかったからだと思う。
1週間ほどして、ふらふらしたかと思ったら、その場から必死で隅の方に潜りこもうとする。駆け寄ると、全身をがたがたと激しくけいれんさせながら硬直していて、口からは涎、オシッコもうん〇も撒き散らして、立ち上がることが出来ないでいた。癲癇の発作だった。どうすることもできないで、発作が治まるまで抱きしめるしかなかった。
その後も1ヶ月に1~2度の発作があった。獣医さんと相談した結果、頻繁になるようなら脳腫瘍の疑いもあるが月に1~2度ならと、しばらく様子を見ることにした。抗癲癇剤の投与も、もう少し様子を見てからということになった。
これは、極度のストレスによるものか、遺伝なのかまだそのころは分からなかった。
そんな奈々が、一番安心できる相手はJUNだった。JUNには遠慮なく甘えることができて、子犬のようにじゃれて遊んでいた。
動画はこちらへ
夜眠る時もいつもJUNの傍
奈々はチニタや卯月がちょっと怖くて、なかなか傍にいけなかったが、時が経つにつれ落ち着いていられるようになった。犬を恐れないチニタは奈々の傍に行って寝るようになっていた。
それから1年、奈々の癲癇発作の回数も少しずつ減り、症状も初めの頃に比べると軽くなった。
表情も明るさが戻り、やっと家族の一員になれたのだと思う。
ここでの水浴びは大好きだった。
その翌年、チニタが虹の橋へと旅立って行った。誰の手も煩わすこともなく、最期まで自力で水を飲み、トイレをすませ、眠るように逝った。20歳6ヶ月の大往生である。まるで死に方のお手本を見せてくれたようだった。
チニタはダイニングホールの梁の上を歩くのが好きだった。
驚くべきことにこの写真は、死ぬ1週間前である。
その9ヵ月後の1月、
JUNが旅立って行った。JUNがどんな動物(人間も)にも優しくできたのは、きっと周りの人や動物からたくさんの愛を貰っていたからではないだろうか。
この写真が、卯月と奈々と一緒の最後となった。
それからしばらくは卯月も奈々も、寂しそうだった。
秋がきて
冬がきても・・・
そんな日々が続いた翌年の春、五郎がくることになる。
明日に続きます。
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