バーネットヒルを開業するまでの経緯を少しと、病弱だったフレップや猫のエリー&ケンのその後のことを書き加えることにしました。
メイが家族に加わったころから、商社の仕事にけじめをつけて、動物達と暮しやすい環境に移り住みたいと密かに思い始めていた。
ドイツで暮らしていた頃に、家族だけで経営している小さなホテルがあった。古い建物を実に良く手入れされたホテルで、人がのんびりと静かに過ごせて、犬も普通に当たり前のように滞在している。
日本にもこういう宿があったらいいのになぁ~などと、その頃思っていた。
そんなことを思い返したり、子供の頃に見た映画のワンシーンで、ラッシーと呼ぶと遠くから草原を走ってくるラッシーの姿も目に浮かぶ。
そんな話をすると、妻はもちろん反対だった。
「森と湖の側で暮したいって言ってたじゃないか」
「それは言ったけど、そこで働くとは言ってないわよ」
などと言い合いながら、説得の日々が続いた。妻はまた私がインド病になったと思ったそうである。
そんなことを繰り返して、やっと妻もその気になった。
母への説得も続けてようやく決まった。母は住み慣れた環境からの移住で、相当な決意が必要だったと思う。
それから湖の畔で森の側という立地条件の土地探しの日々であったが、清里の現在の土地に決めた。
移住することに決まってから、これまで世話になった獣医さんにもその旨を伝え、犬と泊まれる宿にしたいと言うと、
「それは非情にリスクのあることで、やめた方が良い」
と言う意見だった。
確かに25年以上も前のことで、日本では未だ室内で犬と生活している家庭は一部だったし、旅行に犬を同伴するということは、まだまだ一般的ではなかったので、躾けやマナーと言う点でも問題があった。
ワクチンの接種も完全ではなかった時代である。感染症などの実情に詳しい獣医さんの意見でもあるので、それはいずれということで、その部分は獣医さんの意見に従うことにした。
そして獣医さんは、
「八ヶ岳は酪農地帯で、牛馬相手の獣医はいるだろうけど、小動物を診る獣医がまだいない。しばらく特訓するから、応急処置ぐらいは出来るようにして行った方が良いでしょう」
と獣医学書を数冊渡されて、1年くらい勉強の毎日となった。注射も出来るようになって、いよいよ引越しという時に、その獣医さんから、獣医師法違反になるから、決して他人の動物を診察しないことを条件に、ダンボールケースにいっぱいの動物薬品や注射器や簡単な手術道具など、医療器具をお餞別としていただいた。
そして
「もし分からないことがあったら、電話してくれれば指示するから」
とまで言ってくださった。病弱なフレップや完治したとはいえ大怪我をしたメイを連れての移住だったので、本当にありがたかった。
今では犬を連れての旅行も一般的になったし、犬の健康管理も行き届いてきた。清里周辺に動物病院も増えた。当時を思うと隔世の感のように思える。
フレップとメイ、猫のエリー、ケン、チニタを連れて移住した。
豆腐粥しか食べられなかったフレップは、清里に来てから直に、これまでの症状は嘘の様に治ってしまってすっかり健康になった。
獣医さんは
「あれほど手を尽くしても駄目だったのだから、これは転地療法としか考えられない。たぶん水と空気と原産国に近い環境になったのが良かったのかもしれない」
と言っておられた。
清里に移住した翌年に猫のエリーは18歳で老衰、ケンはその数年後に肺水腫で13歳の生涯を閉じた。
猫は高齢になってからの環境の変化に弱いから、エリーとケンには可愛そうなことをしたと思う。
8回にわたって書いてまいりましたが、今回でお終いにします。
毎回読んで下さった皆様、ありがとうございました。
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